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遊行寺 ゆぎょうじ



 遊行寺(正式名:藤沢山無量光院清浄光寺)は時宗の総本山です。遊行第四代呑海上人が、実兄である地頭俣野五郎景平の援助によって、廃寺を再建して遊行(全国行脚の布教)引退後の住まいとした藤沢山清浄光寺(とうたくさん しょうじょうこうじ)がはじまりです。 その後、歴代上人も遊行 引退後に住むようになり、通称遊行寺と呼ばれるようになりました。旧東海道遊行寺坂の西側にあります。
遊行寺の境内は広く、入り口の山門(黒門)からは中の様子を見ることはできません。門をくぐっていろは坂を登っていくと、大イチョウと本堂が見えてきます。イチョウは樹齢約700年と言われ、天然記念物に指定されています。

遊行寺 年中行事
 1513年には、北条早雲と三浦義同の戦火をうけて焼失し、1607年(慶長12年)江戸時代初期における普光の活躍の折に再建されました。 その後も何度か焼失を繰り返し、現在の建物の大部分は関東大震災後に復興されたものです。ただ、消失を免れた寺宝を現在も時宗総本山の大寺として数多くの文化財を所蔵しています。 境内には1416年(応永23年)上杉禅秀の乱で戦死した人々を供養する「藤沢敵御方供養塔」がある。

 鎌倉時代末(正中二年・1325年)に遊行四代呑海上人が遊行寺を開いて以来、藤沢はその門前町として栄えました。1600年(慶長5年)関ヶ原の戦の翌年「伝馬掟朱印状」が発せられ、街道整備を目的に藤沢宿が誕生します。最初に「藤沢御殿」と呼ばれる、将軍専用の宿泊所を中心に据え、徳川家康、秀忠、家光と三代にわたり30回近く利用されました。
 本堂は木造としては東海道随一のもので1937年(昭和12年)落成したもの。 本尊は6尺1寸の阿弥陀如来座像(慈覚大師作),外陣長拝には後光厳天皇の 勅語「清浄光寺」を掲げ、本堂の後ろに納骨堂があり、全国信者の分骨が納められている。 寺宝としては一遍上人絵伝10巻・一遍上人 画像3幅・時空過去帳2巻・安食問答・六時居讃などがある。