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海前寺の仏像及び什物



木造阿弥陀三尊立像
 (昭和47年7月28日 逗子市重要文化財に指定)春日作と伝えられています。 像高:(中尊)77.5cm(観音)50.2cm(勢至)51.5cm  寄木造、玉眼嵌込、肉身部漆箔、室町時代に造立されたと推定されます。中尊阿弥陀如来は上品下生の来迎印を結び、おだやかではあるが、張りのあるお顔立ちです。観音菩薩像は蓮台を捧げ、勢至菩薩像は合掌しています。この面脇侍菩薩は上体を前にかがめ、腰をひき、膝を曲げて動的な姿勢を示し、典型的な来迎三尊です。製作年代のはっきりした記録はないのですが、張りの強い中尊の両部、幾分形式化しているものの、写実性をもつ衣紋など、室町時代の作風を備えています。  逗子市内では貴重な室町彫刻です。中尊の胎内銘札によって、 文政十三年(西暦1830年)鎌倉山之内仏師三橋夘(右)京の手によって修理されたことがわかっています。




鋼造釈迦誕生物立像
 像高9.1cm  右手で天を、左手で大地を指す通常の天上天下唯我独尊像です。 本体は均整良く愛くるしさを丁寧に表現しています。 江戸時代後期の特色が濃厚に現われている小さい像です。





紙本着色阿弥陀聖衆来迎図(掛軸)
 浄土に生れることを願う人の臨終に際して阿弥陀如来が観音・勢至の両菩薩を始め、多くの諸菩薩を伴って遥かなる浄土よりお迎えに来られる様子を描いたものです。阿弥陀如来の目から下の方に二筋の光明が射し、その光の先に画面では見えないが、往生者が念仏を称え待ちうけていると言う設定です。  この掛軸は、三十九世灌隆和尚の代に奉納されたので、安政元年から四年の間に購入したものと思われます。小坪は勿論のこと鎌倉、逗子、葉山の広範囲にわたる、実に二〇一名の方々のお名前が裏に丹念に墨書されていて、各家先祖の菩提を弔うために寄進されたものだと思います。死者の出た家では、この掛由を持ち廻りで御霊前に掛けて冥福を祈ったのでしょう。



紙本着色十三仏来迎図(掛軸)
 死亡した人の初七日から三十三回忌までの、それぞれの忌日に配当された十三の仏様が描かれています。 年忌法要を勤める時に、檀家さんがこの掛軸を持って行き、仏間に飾ったものです。


本尊名號掛軸
 この掛軸は明治四十三年十一月七日・八日にわたり、遊行六十三世尊純上人が海前寺に御親教された時に書き残された御名號です。 十一月七日の晩一泊され、南無阿弥陀仏の小さいお札をその時、五百余人にお渡しになったことが記されています。





徳川二代将軍秀忠公回向牌
 過去帳によれば、時の権力者徳川将軍が亡くなると、法名を過去帳に載せ、仏壇に回向牌を掛けて菩提を弔い、御回向をしたと思われます。 その一枚が残っていたのでしょう。
秀忠公(1578-1632年)は江戸幕府二代将軍で、家康公の第三子で、慶長十年(1605年)将軍となり、元和九年(1623年)まで将軍職にありました。諸法度の制度、貿易地の制限など、 幕府組織の整備に努められました。 寛永九年(1632年)申正月24日、五十四歳で亡くなりました。

法名は
 台徳院殿贈正一位大相国公尊儀
です。


首塚
 本堂裏山中腹に首塚があります。
小さいやぐらから頭骸骨と鎧片が出たことから、近所の人は「お首さま」と呼びました。 海に臨む要害の山城「住吉城」攻防(室町時代)の合戦の時に戦死した武将を埋葬した墓だと思われます。